サガダの棺は別にハンギングなんてしてないんだからね。
hanging coffin(ハンギングコフィン)と呼ばれる事が多いサガダの葬送儀礼。何気なく辞書でその意味を調べると、どこか刺激の強いワードだった。だからこそ英語圏の人にはインパクトの強い音として遠くまで伝わったんだろうし、観光地としての繁栄もあったのかなーと想像する。
一方で、僕らをhanging coffin(ハンギングコフィン)まで連れていってくれたガイドによるとサガダではこの棺たちをhanging coffin(ハンギングコフィン)と呼んだ事は一度もないそうだ。
そもそもhanging coffin(ハンギングコフィン)は、切り立った崖に杭を打ちその上に棺を置いてロープで縛っている。おおよそ10年程度で棺の老朽化と棺内の白骨化が進むので丁寧に崖から降ろししかるべき所(多くの場合は、近くにある洞穴)に安置すると話していた。
サガダのコフィンはhangingしてない。
hanging coffin(ハンギングコフィン)をなんて呼べばいいのか問題。
もう、僕らが、いや、連れているであろう観光客のほぼ全員が、hanging coffin(ハンギングコフィン)って呼んでるだろうからガイドもそこに対して突っ込まないし、じゃーなんて呼べばいいの?って聞いたときには遠くの景色を指差して別の話をし始めた。
サガダの地表は石灰石で覆われていて、これは雨に溶ける性質を持っているらしい。だから、どこを見ても地表は剣の様に鋭く地底は穴ぼこだらけになるそうだ。自然が凄すぎてhanging coffin(ハンギングコフィン)の新しい名前を何度も聞くのは諦めた。
また、ハイキングコースみたいになっている道をあるき始めると遠くの崖にhanging coffin(ハンギングコフィン)を見ることができる。限界までカメラのズーム機能を活かしたので近くに感じるけど、実際は遠い、あそこまであるくの?ここでいいかも。って思うくらい遠い。
hanging coffin(ハンギングコフィン)への道中
アドベンチャーな雰囲気に少し天気も悪かったし、ここは墓場。なんだかhanging coffin(ハンギングコフィン)を見に行くには最高のシュチュエーションを図らずとも手に入れた感じがした。
それにしても、道が整備されている。
以前はこの切り立った壁を利用して、ロッククライミングのアクティビティーが行われていたそうだ。墓場でロッククライミングって。。。しかも、この近くの洞穴には大体死者が祀られているんだよ。。。事実なんてどうでもいい、目の前だけ楽しかったらそれでいい。人間だもの。さがお。
鬱蒼とした茂みの中には、いくつもの小さな道があった。途中、ガイドを連れていないヨーロピアン系のバックパッカーが完全に道に迷ってあっちにいったりこっちに行ったりしているのを見た。ガイド料は200PHPだし、地元の人の墓場を見させてもらうんだから何もわざわざガイドを跳ね除けてくる必要はないように思う。
ただ、ツーリストセンターでの手続きがメンドウ、めっちゃメンドウ、フィリピンは紙が出てくると大体メンドウになるんだよな。
hangingされていないcoffin
石灰石が長い時間をかけて水に溶け、山のいたるところに小さな洞穴ができる。
ここには崖から降ろされた棺や、理由はよくわからなかったが崖に安置される事のなかった棺たちが運ばれてくる。それは一つだけの棺が丁寧に安置されていたり、複数の棺が大量に重なったりしていた。
洞穴の手前にはドクロが祀られている場合もあったり棺が壊れ、白骨化したそれが完全にヤッホー!している場合もあった。これが、サガダの観光資源だ。
ガイドから写真を撮ってもいいんだぞ、カメラ向けろよって笑顔で言われたが、撮れるかい。
いよいよ、hanging coffin(ハンギングコフィン)
そして、いよいよ良くガイドブックで見るhanging coffin(ハンギングコフィン)が目の前に現れた。安定のフィリピン観光客がhanging coffin(ハンギングコフィン)を背中に自撮りをしている。
もう、hanging coffin(ハンギングコフィン)なんてどうでもいいのかも知れない。あれ、今日の私、、いつもよりカワイイ!?それがフィリピン人だ。
あまり近くに行くと匂いがあるからな。と、言われた。
ガイドから聞いた話によるとサガダの棺はしっかりと管理され、お祭りも一年に一度ほど行われているそうだ。だから、今晩もグッスリ眠れるから安心しろって、他にも墓を観光資源にしている所はあるけど、だいたい行くと寒気がして寝れなくなるぞって言われた。
このガイドの人、サガダから一度しか出た事無いって行ってたのにさすがプロ。他の墓事情にも精通している。
棺を観光客に見せそれを街の発展や生活に利用することはサガダの街でも賛否が分かれそうだけど、みんながこの場所を大切にし、ルール(節度)が存在する事は確かだったように思う。